宝蔵寺について/伊藤若冲ゆかりの寺/宝蔵寺

- ご案内 -

現在本堂の拝観はしておりませんが、伊藤若冲親族のお墓はご自由にお参りしていただけます。 髑髏の記念スタンプ(紙朱印のみ)は、毎日10時〜16時(月曜日はお休み)の間授与いたします。 本尊(阿弥陀如来)のご朱印は、住職が在宅の場合のみ帳面に記帳させていただきます(不在時は紙朱印)。 また電話でのご予約はお受け致しておりません。 宜しくお願い致します。


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宝蔵寺について.../ABOUT HOUZOUJI

 

創建とご本尊

 

弘法大師空海の創立と伝えられる。その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基される。 弘安2年(1279)に如輪上人が遷化、天正9年(1581)玉阿律師が中興再興された。 玉阿律師は天正18年(1590)に遷化、天正19年(1591)に現在地に移転した。 本尊阿弥陀如来像は、元禄13年(1700)と刻まれている。

 

 

如輪上人と玉阿律師の位牌

如輪上人と玉阿律師の位牌

本尊 阿弥陀如来と観音・勢至両菩薩

本尊 阿弥陀如来と観音・勢至両菩薩


 

如輪上人

 

如林房澄空上人とも称され、大報恩寺・通称「千本釈迦堂」第二世である。 『徒然草』第二百二十八段「千本の釈迦念仏は、文永の比、如輪上人、これを初められけり」とあるように現在まで続く「千本の釈迦念佛」(遺教経会)は、この如林上人が始めたものとされている。 如林上人は、浄土宗九品寺流祖、長西の弟子でもあった(静見『法水分流記』)。 長西のもとで浄土教を修学し、説教にも優れていたという(凝然『浄土法門源流章』)。 正元元年(1259)11月26日、浄土宗西山流祖、善恵房證空の十三回忌法要の導師を務めるなど、浄土宗との所縁は深い。

 

- 宝蔵寺歴代上人 -

 

当寺草創 澄空如輪上人
中興開基 玉阿律師
二世 寶徹周林上人
三世 来譽林香上人
四世 快山秀譽願生上人
五世 浩空源意上人
六世 観空傳察上人
七世 見空上人古淵和尚
八世 盤空厚岸上人有倫老和尚
九世 瑞空玉天上人慈光大和尚
十世 灌空恵頂上人天岸和尚
十一世 且空弥天上人圭旭義隨老和尚
十二世 枝空俊頂上人旭倫老和尚
十三世 称空義天上人旭専大和尚
十四世 朗空隆音上人
十五世 称空義天上人旭専大和尚
十六世 唯空旭亮上人天通老和尚
十七世 亮空典明上人仁阿寂黙老和尚
十八世 明空亮光上人観阿照道大和尚
十九世 晴空光雄上人照阿大和尚
二十世 秀空英裕上人光阿和尚

 

宝蔵寺の移り変わり

 

天正年間(1573~1591)秀吉の寺町整備により寺町の裏側に当たる裏寺町に移転した。 元治元年(1864)禁門の変・通称「蛤御門の変」により全焼。 現在の本堂は昭和7年(1932)建立された。

 

宝蔵寺と近藤勇

 

新選組局長・近藤勇(こんどういさみ)の遺体は、東本願寺法主が受け取り埋葬したとされるが、一説に同志により奪還され、愛知県岡崎市の法蔵寺(浄土宗西山深草派檀林)に葬られたともいわれ、同寺に近藤勇の首塚がある。 その謂われは、三条大橋に晒されていた首を同志が三晩目に持ち帰り、かつて勇が信頼、敬慕していた宝蔵寺第13世称空義天旭専和尚を訪ねて首の埋葬を依頼したが、和尚は半年前に京都より法蔵寺第三十九世貫首として転任されていた。 法蔵寺が徳川家康ゆかりの寺ということもあり、ここに埋葬されたという。

 

 

現在の宝蔵寺本堂

現在の宝蔵寺本堂

称空義天旭専和尚の位牌

称空義天旭専和尚の位牌


 

宝蔵寺墓地に眠る人々

 

■ 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)建立・伊藤家祖先の墓

 

伊藤若冲は江戸時代中期、正徳6年(1716)2月8日京都高倉錦小路南東の角にあった青物問屋(あおものといや)「桝屋」(ますや)・通称「桝源」(ますげん)主人・三代目伊藤源左衛門の長男として出生した。元文3年(1738)若冲23歳の頃、父源左衛門が42歳で亡くなり、若冲は四代目源左衛門となる。 三十代の頃より絵画を志し、宝暦5年(1755)次弟・宗厳(そうごん)(白歳)に家督を譲り茂右衛門と改名し画事に専念した。若冲は、寛延4年(1751)9月29日に父母の墓石、明和2年(1765)11月11日に末弟・宗寂の墓石を宝蔵寺に建立した。 若冲の代表作は「動植綵絵」(どうしょくさいえ)や鹿苑寺大書院の障壁画群であるが、もと総本山誓願寺の什物であった「果蔬涅槃図」(かそねはんず)は、大根を釈迦に見立て、釈迦の入滅に嘆き哀しむ菩薩や羅漢、様々な禽獣(きんじゅう)を野菜や果物で表している。 ≪wikipedia≫


 

■ 牧野省三(まきの しょうぞう)

 

映画監督、映画プロデューサー、実業家。「日本映画の父」と称される。 ≪wikipedia≫


 

■ 笑福亭圓歌(しょうふくてい えんか)

 

上方噺家。歌舞伎役者の二代目中村鴈治郎の義父。 本名は沖本 房吉(おきもと ふさきち)。 江州音頭、尾張万歳などの音曲や、『ひやかし』『のりやの看板』『理屈按摩』などの噺を得意とした。 高座の終わりには、必ず大津絵節の『楠公』などを踊ったという。 どちらかというと、色物(音曲師)としての性格が強い噺家だった。 ≪wikipedia≫


 

宝蔵寺の行事案内

 

  • 春彼岸法要(3月彼岸中の土曜日)
  • 八臂辨財天・大般若転読法要(5月・第四日曜日)
  • 秋彼岸法要(9月彼岸中の土曜日)
  • 十夜法要(11月・第四日曜日)

 



 

 

 


 

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